ニッポンを移動する人たち。その理由は? 訪ねたのはどんな場所? 旅のスタイルは?人それぞれのRe:Scover Nipponをさぐります。
第3回 フォトジャーナリスト 小原一真さん


1985年生まれ。2010年、DAYS JAPANフォトジャーナリスト学校卒業。この取材は『東日本大震災 3.11. 小原一真写真展』2011年6/18(土)〜7/3(日)の会場となった大阪市福島区・photo gallery Saiにて。http://kazumaobara.com/

3月11日の震災をうけて、14日には会社を辞めて、大阪から岩手、宮城県へ向かったという小原一真。彼が被災地で撮ったその写真が大阪で展示されている。展示会場でまず目にした「はじめに」にはこう書かれていた。

被災地では、撮影させていただいた方を改めて傷つかせる行為を何度となく繰り返してきました、それでも、撮影を続けてきたのは等身大の被災地の姿を伝えたかったからです。話せば話すだけ様々な表情が見えてきました。悲しみも怒りも失望も希望も力強さも。それらの感情は、単純に人間は強いとか、被災者は可哀想だとか、分かりやすく表現することなど不可能なものでした。

展示されている写真に写るのは、彼が話を聞いた人たちの姿。等身大を貫く、彼の思いを聞いた。

ーーすぐに会社を辞めて被災地へ。そこに迷いはなかったですか。

もともと辞めるつもりではいたので、それを早めたことになるんですけど、気持ちとしては3月11日の夜には出られたらと思ってました。あの日の2時46分に地震があって、それから自分が仕事をする意義っていうのがまったくわからなくなったんです。今、自分がここで金融の仕事をしている必要性があるのかと。単純に食料、物資を被災地に持って行きたかったというのもありますけど。

ーーその時に住んでたのは大阪ですね。

会社は京都まで通ってました。出身が岩手県の盛岡市。で、僕の親友の和也って男が大学の同級生で、彼の実家が宮城県南三陸町にあって、今年の正月に家族で家を訪ねているんです。そういうこともあって、そのとき東京に住んでた和也とはどうするどうするって話をして、14日には一緒に東北へ向かいました。

ーー被災地にカメラを持って向かうときに決めていたことはありますか。

まだこっちにいるときに、津波の被害があった地域を空撮で撮った映像がテレビで何度も流れてました。そこにものすごい違和感があった。もちろん、現地の状況を伝えるという意味では必要だと思うけど、それを繰り返し繰り返し流すことの意味がよくわからなかった。どこか他人事だし、そこに暮らす人が全然見えてこない。そんな映像よりももっと意味のあるものがあるんじゃないかとは思ってました。

ーーそして、実際に被災地へ。どんな風に写真を撮りはじめましたか。

和也の実家があった集落は2軒を残して、すべて流されてました。そこで泣き崩れてる親友の写真を撮ったのが最初ですけど、何やってるんだろな俺、っていうことはすごく思いましたし、今でもそこで彼の肩を抱くべきだったという葛藤は持ち続けてます。だけど、やっぱり自分しかその場所にはいなかったし、そこで撮るということは被写体と自分がこういう関係性にならざるをえない、それでもレンズを向けていくんだなと自覚しました。この写真があったらから、他の被災地の方ともきちんと向きあって撮ることができたと思います。

ーーそこがマスメディアとの違いだと。

写真のテクニックどうこうじゃなくて、話すだけ話して、よし撮ろうと思ったときに撮った写真が一番強いものになる。コミュニケーションをした分だけの表情や現場の雰囲気が写真に写るんだなと。だから、真摯に話をする、それだけですね。

ーーまずは話をすること。

そうですね。話をしないで撮るってことは決してなかったです。そのうち、ポートレイトを撮らせていただいたのは60人くらい。

ーー写真を展示することにはどのような思いがありますか。

被災地に対して何かをしたいと思ったときに、必ずしも距離は関係ないと思いますけど、たとえば大阪だと、距離が遠い分、知り合いがいなかったり、この人を助けなきゃという思いにまでは、なかなか至らないのかもしれない。被災した人との間で何かしらの共通項を見出さないと、気持ちが発展していかないんです。だから、人を媒介にして、こういう人が向こうにいるんだからと感じられるように。展示をすることで、大阪と東北の精神的な距離感を近づけられたらと思ってます。

ーーだから今回展示されている写真には、すべて人が写っているんですね。

今回の展示では、キャプションを手書きで書きましたけど、そこに「和也」「マーちゃん」っていう固有名詞が出てくることがひとつの意味だと思います。自分も写真を撮りながら、名前を呼びながら会話をしていたわけで。新聞の記事にも固有名詞は出てくるけど、あれは説明文でしかない。それとは全然意味が違いますね。和也やマアちゃんにはプライベートな部分も書いてしまったりして、申し訳ないんだけど。

ーーでも、そのプライベートな部分を出されたことで、ぐっと近い距離で写真を見ることができました。

それでも、人を1人撮っただけじゃ状況は伝わらないし、何百カットと展示するわけにもいかない。あくまでも、それぞれの人が見てきたものと融合することで、さらに深まるようなことでしかないとは思います。この展示だけで完結するのではもちろんなく、僕の見たものがこうでしたと。

ーー展覧会の「はじめに」の文章にも書かれてましたけど、6月11日に小原さんのお父さんが癌が亡くなられたと聞きました。

自分の父の死とまったく予期せぬ震災で亡くなられた方とは全然違う話なので、重ねあわせられないし、わかりますとは絶対に言えないんだけど。だけど人の思いとして想像することはできます。自分は親父が好きだったし、どんな人だったのかは伝えたいと思う。アルバムの写真とか、そういう思い出もいいんだけど、父が残したものってそれだけじゃないと思うんです。

ーーはい。

父のお葬式には何百人という人が来てくれました。そこには自分や家族からは見えてなかった人間関係もあって、それもまた父の財産だったと思うんです。そんな人たちに会って、話を聞いたり写真を撮ることができないか。亡くなってしまった人が築き上げた、そういう人間関係を見せることができないかなと思ってます。

ーーそこに写真の力があると。

あると思いますね。

ちょうど取材をした日、マーちゃんが「突然思い立って」南三陸町から大阪までやって来ていた。

マーちゃん:こうして展示された写真を見ると、そこに写ってるのは被災者の人たちだときっとみんな思うんでしょうけど、僕からすると普通の人。瓦礫の中にいる人が普通なわけもないんだけど、でも思わず、普通の人って言っちゃうんですね。

小原:昨日言ってたもんね、別に俺もう、被災者だと思ってないしって。

マーちゃん:そろそろいいかなって。おかしな表現かもしれないけど、最近どうって言われたら、たいして変わりないよ、普通だって言う。みんなそんな風ですよ、なんにも変わらない。

ーー被災地を撮ることに、小原さんは強い迷いもあったようですが。

マーちゃん:撮ってる本人が一番気にしてますね。僕らからすると、一真がカメラをやってるのは知ってるし、他にもいろんなカメラマンが来るけど全然気にならない。別に何もない。話をすることも、当時の状況をもう一回、話させるのはかわいそうとか思うんでしょうけど、話してるほうがちょっと楽というか。ましてや、外から来た人だと、気にしてもらってるんだという感じもあって、黙ってるよりは全然いいと思いますね。

ーー壊れた自宅でギターをひいてる写真は、今回の展覧会DMにも使われていて、とても印象的でした。

マーちゃん:こんなときに何してんだろうと思われるかもしれないけど、そんなことくらいしかやることがないんですよ。

大阪での展覧会は2011年7月3日(日)まで。HPにも数々の写真がアップされています。
http://kazumaobara.com/

photo gallery Sai
大阪市福島区鷺洲2-7-19
会期中のみオープン 12:00 – 20:00
定休日:木曜日(会期中以外のご来場については事前にお問い合わせください)


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第2回 写真家 下道基行さん(下)


1978年、岡山生まれ。日本全国に残るトーチカ、砲台跡などを撮影した『戦争のかたち』を出版。昨年から東京、水戸、倉敷、岡山、大阪などで作品を展示。上は展覧会『絶滅危惧・風景』@大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室(2011年2/26(土)〜3/21(祝))の展示室にて。http://m-shitamichi.com/

※インタビューは2011年3月5日に行われたものです

中編からの続き)

ーーところで、しばらく住む家がなかったと聞きましたが。

フランスに1年3カ月滞在したんだけど、東京を発つ前にそれまで住んでた家を引き払って、荷物は全部実家に送って、持ってたバイクはかなり引きこもってた友達がいたから、彼にゆずった。東京に帰ってきたときに、空港に彼がバイクで迎えに来てくれてて、おおっ!と感動したなぁ(笑)。

ーーだけど東京にはもう家がない。

何も考えてなかったですね。日本に着いてから、あー東京には何もないし、もう住めないんだって。そしたら友達が家に泊めてくれて、そっから友達んちを放浪するようになってしまった。

ーーその家なし期間はどれくらいやってたんですか?

1年半かな。

ーー1年半も家を持たずに転々とされてたんですね。

ほんとにそのときの経験が、最近の自分にとって大きくて。たとえば同棲してるカップルの家にも泊めてもらっていたけど、朝になると2人とも出勤していくんですよね。「あーいってらっしゃい」って見送って、自分だけ残される。これは何かしないと、居場所がねえなと。それで、今まで以上に料理をはじめ家事全般をするようになった。

ーー住んでたのは日本全国ですか?

東京近郊が多いけど、山口県で服部君って人(*今では青森で滞在型アートスペース「MAC」を運営する服部浩之さん)といっしょにプロジェクトをやろうってなって、1カ月くらい泊まらせてもらった。そこでカフェのランチタイムで飛び入りで働かせてもらったりしました。


山口県滞在中の1枚

ーー『水都大阪2009』の期間中は大阪で、アーティストが泊まってた施設の管理人みたいなこともされてたと聞きました。

山口に放浪している奴がいるとなって、大阪から声がかかって、3カ月ぐらい。そこに滞在してたアーティストが展示したりイベントをしたりしてたんだけど、宿に帰ってきておつかれさまです!って酒飲みながら話しはじめると、それが一番仲良くなりますね。やはり生活を共にすること。ほんとにいい場所にいさせてもらったなあと思います。それが今の大阪での展示にもつながってくるわけだし。

ーー大阪でのプロジェクトは新世界、西成という、一般にディープ大阪だと思われている場所でした。

半年間通って、地元のスタッフさんの助けもあったから、地元の方と関係性が作れたかなと思います。ある程度関係性を持てた2人のおじさんのことは、展示の最後に文章でもまとめたんだけど、あの大阪のおじさん達の愛らしさを出すためにはある程度、失礼なことも書かなきゃいけないと思ってて、だけど、彼らの家族も見に来るわけだし、面白くも書きたい。その尊敬してることを崩さないようにして、どこまで書けるか。これも文章メモをずっと寝かせて、展示の直前に一気に書き上げました。


『絶滅危惧・風景』会場

ーーそうでしたか。最後に、あちこち旅をされて印象に残る場所をひとつ教えてください。

いっぱいあるから言いづらいけど…ひとつ言うとしたら、自分の実家が岡山で海のそばだったんだけど、結構、岡山のことが嫌いだった。中途半場に田舎で、中途半端に東京っぽくて、なんだかどこにでもある感じだし。でも、いろんなところを旅して、岡山に久しぶりに帰ったときに、やっぱイイ!って。瀬戸内海の波があまりなくて、たくさん島が浮かんでて、あの風景はやっぱりここにしかないなと思えました。

ーーとてもいい話じゃないですか。

ここで、やっぱ知的なこととか言えたらいいんだけど、そういうの、あんまないですね(笑)。
結局、風景はたぶんその人それぞれにしか見えてないし、違うものを見てるはずなんだけど、何か一緒のものを見てると思ってしまう。そこで、あーやっぱり違うものを見てるんだって感じられるようなことを伝えたいというのが、作品テーマのひとつだから。基本、なまけもんなので、ゆっくりゆっくりやっていきます。


フランスでのスナップ写真
第2回 写真家 下道基行さん(中)


1978年、岡山生まれ。日本全国に残るトーチカ、砲台跡などを撮影した『戦争のかたち』を出版。昨年から東京、水戸、倉敷、岡山、大阪などで作品を展示。上は展覧会『絶滅危惧・風景』@大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室(2011年2/26(土)〜3/21(祝))の展示室にて。http://m-shitamichi.com/

※インタビューは2011年3月5日に行われたものです

上編からの続き)

ーー日本全国を撮影されてますが、旅のペースはどれくらいですか。

当時は、テレビ番組のリサーチャーの仕事をしていて、それが月に1回は会議がある。だから、2週間は旅に出て、あとは仕事をしたり、取材の準備をしたり。

ーーリサーチャーだったんですね。ちなみに、どんな番組を担当されてるんですか?

某番組で若手芸人のリサーチをしたり、最近だと教育テレビの子ども向けのネタを探したり。旅に出ても、帰った後に写真を焼いて編集作業をしたり、お金を貯めたりするので、旅は3カ月周期くらいですかね。

ーー旅のリサーチもお手のものですね。

九州に行こうかなって決めたら、あそことあそこのポイントには行って、あとゲストハウスで面白いところはココとココでって調べて。

ーーゲストハウスも面白いところがありそうですね。

ライダーハウスが面白いですよ。もともと北海道には100軒以上あって、北海道で経験した人が自分の地元ではじめたのも多くて。タダで泊まれたり、廃線の駅に泊まれるようなところもあって、そういう機能を失った建物の活用という意味でも「戦争のかたち」とよく似てる。


「RIDER HOUSE」

だから、旅って目的地を決めるとその過程に副産物が多くて、そういうところから次のシリーズがのびてくる。つまり、あるメインのテーマで目的地を決めて、その過程でいろんなものを見つけていく。そういう旅は今でもやっています。


室蘭にあるライダーハウス白鳥の宿にて。「RIDER HOUSE」

ーーライダーハウスの他にも気にされてるものがあれば知りたいです。

なんだろう…。作品にしたものはまだないかもしれないですね。

ーー鳥居も撮られてますよね。神社にも立ち寄りますか?

あまり行かないですね。基本的に神社に興味があるわけじゃないから。鳥居は「戦争のかたち」の延長線上で、たとえば韓国や台湾など、日本の国境線からぎりぎり外側に出ると、そこで日本が残した建物や歴史に出合ってしまう。それはやっぱり興味深くて、だって、ある意味で強い岩盤の向こう側の風景だから。


「torii Taiwan/台湾」

やはり鳥居は一番シンボリック。見えにくい風景だからこそ、シンボリックに見せることが必要な部分はあります。だけど、鳥居をあつかうって宗教を扱うことでもあるから、そっち側に絡めとられるようなところがすごく難しくて、それをどう絡めとられないように見せていくか。(鳥居のシリーズは)その編集に時間がかかってますね。

ーーなるほど。だから、鳥居は国境の外側で撮影されてるんですね。

その副産物として「そといす」という作品もあって、これは路上に置いてある椅子。とりあえず座るためだけのものや、石を積んで座布団をのっけただけだけのものも。そういう「そといす」のようなカテゴリーを決めておくと、楽な面もあって、電車に乗ってても、「あっ! そといす!」って。で、電車を降りて撮影に行ったりする。「そといす」というのもヒューマンスケールが見えやすいから、人がいなくても人が見えるいい素材だと思っています。


「そといす/outside chairs」

ーー写真にはあまり人物は写ってませんが、根っこには人への興味が強くあるんですね。

やっぱり人の生活臭の強いところが好きですね。旅でも、誰かと一緒に行くのは好きで、よく友達と一緒にも行きますよ。自分とは違う理由で、一緒にその町へ行ける人。前に韓国へ行ったときには、古民家を研究してる友達と行きました。やっぱり自分とは違うところで面白がってた。
こないだの台湾では、地元の人と話したくてしかたないのに全然話せなくて。それで台湾の知り合い経由でメールを出して、こういうアーティストがいて、お金はほぼ出せないんだけど、何日か一緒に旅をする相手を探してると。そしたらそこに女の子が一人来てくれて、そのおかげで村にも入りこめたんだけど、それよりも彼女と仲良くなっていく感じ、俺の旅に彼女も巻き込まれていく感じはすっごく面白かった。

ーー旅先での縁を呼び込むための構えも必要だと。

ダイレクトに目的地まで着いちゃうと副産物がないし、トラブルに巻き込まれない。トラブルに巻き込まれるのもありだと思う。それも副産物。だから、ある程度の時間の余裕を見て、少し離れたところから目的地に近づいていくと、いろんな経験があるし、思っていたのと違うものも見つかる。

ーーかなり気まぐれな旅でもあるんですね。

だけど、結構、家も好きだから。写真をネガで撮ってるのも、旅先ではどんどん撮ったものをブラックボックスに入れていくんだけど、1週間ぐらい旅をしていて、いい写真が撮れすぎると早く家に帰りたくてしょうがない(笑)。

ーー早く現像したい!と。

そうそう。意外と旅の半分くらいからは帰りたくなってる。もちろん、もう1回そこに行くのは大変だから、目的地までは行くんだけど。だから、旅中はデジタルであまり撮らずに、フィルムに入れていく。帰って暗室で現像して、そこでまたその風景と出合えるのも楽しみだし。
文章もそうで、旅中に面白い経験があったと感じたら、とりあえずメモ書きのようにあったことすべてをがーっと書いておく。で、しばらく寝かす。また何かのタイミングであそこの経験のことを書きたい! となったときにその文章を読むと、自分が見ていた風景を客観的に、頭の後ろあたりから見れる感じがある。


「torii saipan(U.S.A.)/サイパン島(アメリカ領)」

ーー下道さんの作品から感じる客観的な視線はそうやって生まれるんですね。

たとえば、経験してすぐのイヤな気持ちだと、その目線でしか感じられないから、実はすごい経験だったりするのにそれが見えない。そのときには、自分にとって重要なポイントがまだ出てきてないのかもしれない。だから、寝かす必要がある気がします。

ーーあえて旅先でケリをつけてしまわないってことですね。

そう。メモだけして、何もやらずにしばらくハコにしまっておく。

ーーなるほどなるほど。…もうちょっとだけ続きます。

第2回 写真家 下道基行さん(上)


1978年、岡山生まれ。日本全国に残るトーチカ、砲台跡などを撮影した『戦争のかたち』を出版。昨年から東京、水戸、倉敷、岡山、大阪などで作品を展示。上は展覧会『絶滅危惧・風景』@大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室(2011年2/26(土)〜3/21(祝))の展示室にて。http://m-shitamichi.com/

※インタビューは2011年3月5日に行われたものです

リトルモアから刊行された『戦争のかたち』。全国に残る戦争の遺構を撮った写真集なのかと思っていたら、読みはじめるとそれだけの本では全然ありませんでした。立ち入り禁止になっている東京湾人工要塞島への上陸レポあり、高射砲台跡に今も暮らすおじいちゃん家を訪ねてのインタビューあり。実際に足を運んで、考えて、人に会って話を聞いて。
大阪の美術館では、新世界〜西成という濃密な町で出会った「Suday Creators」の作品をそのまま展示。その行動力はもはやフィールドワーカーのごとし。展覧会初日、下道さんに話を聞きました。

ーー写真家という肩書きではちょっと語れない活動ですね。

だと思います。『戦争のかたち』も図を入れたり、「戦争のかたちの使い方」というページを本の最後につけたりしました。自分が見てる風景をどうやって見てもらうかという感覚ですね。

ーー大学時代はどういったことをされてたんですか?

ムサ美(武蔵野美術大学)で絵を描いてました。一度、卒業直後に銀座の画廊で1週間20万円くらい払って個展をしたんだけど、貸し画廊のシステムは、経験にはなったけど違和感も感じて、こういった場所で展示する意味はそこまでないなと少し思いました。その頃には「戦争のかたち」のシリーズを撮りはじめてたから、これをもっと多くのどういう人に届けたいかを考えて、『spectator』という雑誌に持ちこんだんです。

ーー本の冒頭にも書かれてましたが、ピザ屋の宅配バイト中に出会った、機銃掃射の跡が残る変電所跡が「戦争のかたち」のはじまりだったと。

そこは柵で囲って平和公園化された建物と、そのすぐ隣に同じような廃墟があって、だけど、数ヵ月後に行くと廃墟の方は何もなくなってた。平和公園のような保存は面白くないけど、廃墟は廃墟のままだと壊されていく。だから、カメラが使いやすいかもなぁと思って、カメラを使いはじめました。


「戦争のかたち/Bunkers 大分県宇佐市」

ーー自分一人でできることとして写真を撮ると。だけど、戦争遺跡を残さなきゃって使命感でもないんですよね。

たぶん、それはない。でも、なぜかそれがその場所にあって、自分が歴史と出合うキッカケになってるのに、風景から一瞬で消えてしまうのは面白いというか、もったいない気持ちもあります。

ーーそれ以来、全国の戦争遺跡をしらみつぶしに?

全然そうでもなくて、はじめは暇をみつけてはちょっと見に行ってみようかなくらい。結構、近所にも普通にあって、今は木造の家だけど昔は軍馬を育ててたとか、そういうもの。でも、自分が求めてるのはちょっと違っていて、戦争の機能しか持ってない建物がその機能を失って、見たことないような建物として残っている。そのどこか奇妙な風景に興味がありました。

ーーそれが「戦争のかたち」という作品として成立すると思ったのは、どのあたりですか?

北海道の海岸を一人でまわってたときに見たトーチカかな。スゲー!って、今まで知らなかった世界に出会ったみたいな感じでしたね。


確かに、トーチカに背を向けた人たちが写っている。『戦争のかたち』P14-15より「北海道中川郡」

そのときに、俺が三脚を立ててトーチカを撮ってたら、どこかの大学の植物研究サークルの人たちも同じ場所にいて、「何を撮ってるんですか?」「あそこに変なの(トーチカ)あるでしょ」「あっ、なんかありますね。私達はここの多年草がすごく珍しくて」みたいな、お互いに珍しいものを見てるんだけど、そこは混じり合わない。このトーチカは俺にしか見えてないんだなと。だったらこれを写真の手法で、同じものを並べてインパクトを持たせて、と考えたのが「戦争のかたち」ですね。

ーー戦争遺跡ってマニアもいる世界です。

ネットでそういうウェブサイトを見ることはありますけど、旅先で出会ったことはない。面白いのはマニアでもそれぞれ考え方が違うんですね。それを見ながら、この人とはここの考え方が違うなって感じで、自分のポジションもわかってきた。
たとえば、「要塞探訪」というサイトでは、戦争の歴史に興味があるわけじゃないとトップページで明記されていて、城があって、その延長線上で近代要塞に興味があると。その考えは自分にも共通する部分もあって、近代の戦争遺跡だけが特別視されているなかで、その重い垣根を超えて、土地の歴史として考えていきたい気持ちを持っています。

ーーたしかに、「戦争」ということばが入ると、一気にある種の地場が生まれますよね。

だから、このシリーズで一番大変だと思っていたのが沖縄で、単純に機能を失ったものがここにあります、では見せられない。でも、扱わないのはおかしいし。沖縄をどう扱うかは、最後まで迷いながら実際に旅しました。


「戦争のかたち/Bunkers 高知県南国市」

ーー下道さんの興味は必ずしも戦争ということではない。

歴史というよりは、今の風景の成り立ち。ビルや建物が今の風景として見えているけど、その地面の下には歴史の層が積み重なっていて、中でも1945年という強い岩盤があって、その他では明治維新あたり。そのあたりを特別視する動きがあるから、それ以上は深く入れない。

ーー下道さんが言う『戦争のかたち』が少しずつ見えてきました。そして、旅のスタイルへと話は移っていきます。キーワードは旅の副産物。ライダーハウス。鳥居。……続きます。


「北海道広尾郡」
第1回 画家 田中紗樹さん STAY & WORKの巻(後半)


1984年、アメリカ生まれ。アメリカから、香港、そして日本へ。その幼少期の記憶から、自分のルーツを探すように旅を重ねる。2008年から、旅先に滞在して作品を残す「stay & work」の活動を開始した。現在は東京在住。

前半からの続き)
ー田中紗樹さんの「stay&work」の訪問先はネット検索で決定! 
ちょっと想像してた感じと違いますけど、それで大丈夫なもんなんですね。

そこはメールでいろいろやり取りをして、後は行ってから交流しようって感じです。とにかくそこに行って何かしたいってことを伝えて。今回は、島根と岐阜とで計3カ所に行くことを決めて、それからルートや日程を全部決定して、相手に伝えました。だけど行ってみると、意外にどこかで繋がりがあったりして、島根の「パサール満月海岸」を立ち上げた人が大阪の「iTohen」で個展をやってたり、「野原のミュージアム」のオーナーさんの家に飾ってある作品がいいなと思ってたら、その作品を作った人も「iTohen」で展覧会をされてました。それもすごいなあと。どこか同じような空気があるのかも。


岐阜県揖斐川町にある「麻処さあさ」では高台にあるため、
旗のようなものがあればという話を受けて大きな旗を制作。

ーネット上にある無数の情報から、その3カ所に絞った決め手みたいなものはありますか?

まずは、モノを作れる現場であること。あとは、アートだとか日常にプラスアルファをするような意識を持ってるようなところです。面白そうな活動してる人たちだったので、その活動を間近に見てみたいし、そういう人たちがどんな日常を送ってるのかも、見てみたいと思ってました。人とつながりを作って、拠点を持って活動している人たちって、開放感もあって話もしやすいんですね。岐阜の「さあさ」は行ってみると、ものすごく山奥で電波も通じなかったけど、「さあさ」の人ももともと住んでた土地じゃないんです。なのに、どうしてこの土地を選んだのかとか、そういうこともすごく知りたくて。

ーなるほど。紗樹さんの興味が選ぶ軸にあって選んでるんですね。実際に行ってみてどうでしたか。

場所によって空気が全然違いますね。感じる温度も色も全然違う。それが絵に現れることもあるし、後からそうだったと気づくこともあります。たとえば、島根はグレーッシュな感じ。荒れると波がすごく高くなる日本海の影響もあると思うけど、気候風土だけじゃなくて、そこにいる人にもそういう色を感じました。グレーってよくないように聞こえるかもしれないけど、自分たちの日常や文化を強く守っている印象ですね。比べると、岐阜はもっと色彩豊かでポップ。緑も他の場所より濃くて深いんです。光と影がパキーンとはっきり分かれるので、意識もその影響を受けますね。


岐阜県下呂市にある「野原のプロジェクト」は
何もない場所にツリーハウスやピザ窯などが作られている。牛もいます。


紗樹さんはコンポストトイレ(バイオトイレ)づくりをお手伝い。

ー岐阜の中でも、下呂と揖斐では違ったところもありますよね。

もちろん、そこにいる人たちの影響も強くて、揖斐では小さい村なんだけど、弾けるような印象がありました。コミュニティも強くて、家も開けっ放しだから、同じ村の人なら平気で家の中まで入ってきちゃう。心をずっと開放しているような感覚で、それが2週間もいるとだんだん心地良くなってきて。きっと住んでたら、なじんで気持ちいいだろうなあって。

ー慣れてきた頃に移動しちゃうんだ。

次の場所も見たくなるし、先にスケジュールは決めてますから。放浪じゃないんです。旅をしてると、目的も決めずにチャリで日本1周してる人に出会ったりするんですけど、私は絶対にそれは無理です。できないですね。「stay&work」というとっかかりがあるから行けるというのもあります。

ーだけど2泊や3泊ではダメだと。

自分がそこの生活のリズムになじんでいくと、なんだろうこれっていう違和感が薄れてきて、ああなるほどって感じになる。話してくれた内容とか価値観とか、いろんなことが腑に落ちてくるんです。だから本棚にこういう本があるんだとか。

ーなるほど。ちなみに滞在中はずっと居候ってことですか。

そうなりますね。それができそうな場所を選んでますし。それぞれの家の中でリズムが違ってて、それはまたすごく興味があるんです。朝起きてまず何をするかとか、キッチン、トイレ、お風呂、本棚はその家の空気を作る上で大切な場所だと思うので、興味を持って見ちゃいますね。

ーお風呂って意外な感じがしますけども。

結構、個性が出るんですよ。小物とかの選択もそうだし、その人が生活してる上で、こうした方がいいというような知恵が生かされてたりして。タオルが乾きやくなるとか、ほんとにちょっとしたことですけどね。話はちょっと飛ぶんですけど、昔、福岡の美術作家さんのところで3週間のアシスタント生活をしたことがあって、そこではゴミを徹底的に分別するんですよ。アメの包装紙でも全部洗って、洗濯バサミで干して。その家にはゴミ箱がないし、家の中にハンモックがあったり、テントが立ってたりして、そこには子供もいましたけど、きっと自分とは違った感覚の日常なんだろうなあと。自分の常識が日常に染み込んでるから、それを覆されると刺激されて面白い。

ーやっぱり居候先では積極的に家事にも関わっていくんですか。

しますね。何かしら参加できそうなことだったら、全部参加するつもりでいます。面白そうなことをやってそうだったら、それ何ですかって聞いたりして。私みたいな居候に慣れている方も多いので、一度に何人も受け入れられてることもありますし。

ー住みつくくらい日常に深くコミットしながら、作品も残すんですよね。

そう。そこは土足で踏み込むくらいの感じじゃないとたぶん残せなくて、時にちょっと躊躇するんですけど。来たばかりの人間がいいのかなって。視覚的なものだから、すごく変化も起きるし。だけど向こうの人も、その変化を待ってたり、描いてる時の作業風景も面白いみたいで。とにかく、やるかって感じです。

ー気をつかいすぎても…。

描けなくなりますからね。それに作品をのこしたりすればつながりも強くなって、その後の話とかもあったりするし、これからまた行く拠点のひとつにもなりますから。もっといろんな場所に作品を残して、そこがまた他の場所とつながったらどうなるんだろうとも思います。場所と場所をつなげたらすごく強いだろうなあと。自分の中で考えてるだけで、具体的な方法とかはまだこれからですが。

ーそうなると、stay&workも次の段階ということですね。

そうですね。ただ変にプロジェクトっぽくなると、それもまたちょっと違うかなって。まだ社会性もないし、あくまでも自分の興味で動いてるものだから。自分としてはもっといろんな素材を知りたいという思いもあって、染めとか陶芸とか、そういうことをやってる人のところにも行きたくて。今回も島根では職人さんがよく集まっていたので、石州和紙の現場で体験をさせてもらったり、刀鍛冶の職人さんともいろいろと話ができました。

ーそれも長期滞在してるからこそという気がします。

ほんとに2、3週間いると自分がそこの日常になりかけるんです。でも、あっそうじゃなかったと思って、また次に行く。すごく興味があって中に入り込もうとしてるくせに、どこか俯瞰的に見てるんですね。だから、旅もずっと続けるんじゃなくて、一度東京に戻って一回休みみたいにしないと、ちょっと整理できなくて。東京の静かなアトリエで、これが自分のいるところ、自分の日常だったなというのを確認して、それからまた出て行くということが続いてますね。

ーそうか。吸収するだけじゃなくて、消化する時間が必要ですもんね。

行った先々でこんな生活、考え方があるんだってわくわく興奮して、で、帰ってくる。その興奮が絵を描くモチベーションにつながってると思うし、その土地の力を借りてる部分もいっぱいあると思います。それで、また突然行きたくなって、急いで行き先を決めて出発する。きっとしばらくはそれが続くと思います。

ー紗樹さんの作品に思わぬ場所で出会うことを楽しみにしています。

はい。日本だけじゃなくて、世界中を旅して描くつもりですよ(笑)。


「パサール満月海岸」最終日に。すっかりやり遂げた顔になってます。

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