フィルムカメラの良さや大切さを伝えていくために。そして、何より写真をもっと楽しむために。Re:Sというメディアをきっかけにして偶然にも集まったわたしたちは、それぞれの知識や技術や発信力を結集して「りす写友会」をつくりました。これはその出会いから結成までのお話です。



2006年7月、「Re:Standard あたらしい“ふつう”を提案する」をコンセプトに、創刊された雑誌Re:S(りす)。創刊からブレーンとして大きく関わってくれていたのが小説家の柴崎友香でした。
2007年のある日、京都でイベントを開催していた柴崎は、目の前を通り過ぎる、俳優の佐野史郎を目撃。以前、柴崎原作の映画「きょうのできごと」の撮影現場や、それに端を発したとある打ち上げの場で、挨拶を交わしたことがあった柴崎は、映画館に入ろうとする佐野を強引に呼び止め、近くでイベントを開催していることを伝えました。普段、そんな行為とは縁のない柴崎に、その瞬間どんな力が働いたのかはわかりません。柴崎のことを覚えていなかった佐野も半信半疑に思いながらも、映画終了後に会場にやってきてくれました。そこで佐野史郎の目にまさにフィルムカメラのごとく焼き付いたのが、「フィルムカメラでのこしていく」を特集したRe:S第2号でした。


それから一週間後には、Re:Sで読んだ鳥取県赤碕にある「かげやま写真スタジオ」へ向かった佐野史郎。同行したのは旧友のアズキさんこと、小豆沢茂。そして、佐野からRe:S編集長・藤本智士へ一通のメールが届きました。
佐野と出会う以前、Re:S初のイベント「りす写真館」の会場が佐野の故郷、島根県松江だったこと。取材中に植田正治写真美術館を訪れるなど、Re:Sにとって憧れだった写真家の植田正治。まさにその植田正治の作品を映像的に再構築した作品を監督したことが、佐野にとって写真に大きく近づくきっかけだったこと。そんな植田正治の師匠とも言える、写真家・塩谷定好の生家が今ものこるその場所こそ、Re:Sが最初に訪れた赤碕の町であったこと。さらにその塩谷定好直筆の手紙を、佐野の旧友・小川功が持っていたこと。柴崎友香が見つけた古いアルバムの持ち主を探そうと、Re:Sが取材を進めるなかで出会った宮崎県の写真屋「独立軒」。その屋号は、今も続く佐野の叔父が出雲大社で始めた写真館と同じ屋号だったこと。佐野家の古いアルバムに貼られていた佐野家3代の銀塩写真、そして藤本プロデュースによる写真展の開催。佐野史郎初となるその写真展の初日が植田正治の命日だったこと。などなど、書き出せばきりがない運命的な事象の数々。

柴崎友香と佐野史郎が出会った、ある日の「きょうとのできごと」をきっかけに、わたしたちは写真というものについて、とても真摯に思考するようになりました。そして、フィルムカメラや銀塩プリントの大切さを伝えるという使命を感じたのです。その思いに共感し続々と出会った仲間達と結成したのが、「りす写友会」です。