

1985年生まれ。2010年、DAYS JAPANフォトジャーナリスト学校卒業。この取材は『東日本大震災 3.11. 小原一真写真展』2011年6/18(土)〜7/3(日)の会場となった大阪市福島区・photo gallery Saiにて。http://kazumaobara.com/
3月11日の震災をうけて、14日には会社を辞めて、大阪から岩手、宮城県へ向かったという小原一真。彼が被災地で撮ったその写真が大阪で展示されている。展示会場でまず目にした「はじめに」にはこう書かれていた。
被災地では、撮影させていただいた方を改めて傷つかせる行為を何度となく繰り返してきました、それでも、撮影を続けてきたのは等身大の被災地の姿を伝えたかったからです。話せば話すだけ様々な表情が見えてきました。悲しみも怒りも失望も希望も力強さも。それらの感情は、単純に人間は強いとか、被災者は可哀想だとか、分かりやすく表現することなど不可能なものでした。
展示されている写真に写るのは、彼が話を聞いた人たちの姿。等身大を貫く、彼の思いを聞いた。
ーーすぐに会社を辞めて被災地へ。そこに迷いはなかったですか。
もともと辞めるつもりではいたので、それを早めたことになるんですけど、気持ちとしては3月11日の夜には出られたらと思ってました。あの日の2時46分に地震があって、それから自分が仕事をする意義っていうのがまったくわからなくなったんです。今、自分がここで金融の仕事をしている必要性があるのかと。単純に食料、物資を被災地に持って行きたかったというのもありますけど。
ーーその時に住んでたのは大阪ですね。
会社は京都まで通ってました。出身が岩手県の盛岡市。で、僕の親友の和也って男が大学の同級生で、彼の実家が宮城県南三陸町にあって、今年の正月に家族で家を訪ねているんです。そういうこともあって、そのとき東京に住んでた和也とはどうするどうするって話をして、14日には一緒に東北へ向かいました。

ーー被災地にカメラを持って向かうときに決めていたことはありますか。
まだこっちにいるときに、津波の被害があった地域を空撮で撮った映像がテレビで何度も流れてました。そこにものすごい違和感があった。もちろん、現地の状況を伝えるという意味では必要だと思うけど、それを繰り返し繰り返し流すことの意味がよくわからなかった。どこか他人事だし、そこに暮らす人が全然見えてこない。そんな映像よりももっと意味のあるものがあるんじゃないかとは思ってました。
ーーそして、実際に被災地へ。どんな風に写真を撮りはじめましたか。
和也の実家があった集落は2軒を残して、すべて流されてました。そこで泣き崩れてる親友の写真を撮ったのが最初ですけど、何やってるんだろな俺、っていうことはすごく思いましたし、今でもそこで彼の肩を抱くべきだったという葛藤は持ち続けてます。だけど、やっぱり自分しかその場所にはいなかったし、そこで撮るということは被写体と自分がこういう関係性にならざるをえない、それでもレンズを向けていくんだなと自覚しました。この写真があったらから、他の被災地の方ともきちんと向きあって撮ることができたと思います。
ーーそこがマスメディアとの違いだと。
写真のテクニックどうこうじゃなくて、話すだけ話して、よし撮ろうと思ったときに撮った写真が一番強いものになる。コミュニケーションをした分だけの表情や現場の雰囲気が写真に写るんだなと。だから、真摯に話をする、それだけですね。
ーーまずは話をすること。
そうですね。話をしないで撮るってことは決してなかったです。そのうち、ポートレイトを撮らせていただいたのは60人くらい。
ーー写真を展示することにはどのような思いがありますか。
被災地に対して何かをしたいと思ったときに、必ずしも距離は関係ないと思いますけど、たとえば大阪だと、距離が遠い分、知り合いがいなかったり、この人を助けなきゃという思いにまでは、なかなか至らないのかもしれない。被災した人との間で何かしらの共通項を見出さないと、気持ちが発展していかないんです。だから、人を媒介にして、こういう人が向こうにいるんだからと感じられるように。展示をすることで、大阪と東北の精神的な距離感を近づけられたらと思ってます。

ーーだから今回展示されている写真には、すべて人が写っているんですね。
今回の展示では、キャプションを手書きで書きましたけど、そこに「和也」「マーちゃん」っていう固有名詞が出てくることがひとつの意味だと思います。自分も写真を撮りながら、名前を呼びながら会話をしていたわけで。新聞の記事にも固有名詞は出てくるけど、あれは説明文でしかない。それとは全然意味が違いますね。和也やマアちゃんにはプライベートな部分も書いてしまったりして、申し訳ないんだけど。
ーーでも、そのプライベートな部分を出されたことで、ぐっと近い距離で写真を見ることができました。
それでも、人を1人撮っただけじゃ状況は伝わらないし、何百カットと展示するわけにもいかない。あくまでも、それぞれの人が見てきたものと融合することで、さらに深まるようなことでしかないとは思います。この展示だけで完結するのではもちろんなく、僕の見たものがこうでしたと。
ーー展覧会の「はじめに」の文章にも書かれてましたけど、6月11日に小原さんのお父さんが癌が亡くなられたと聞きました。
自分の父の死とまったく予期せぬ震災で亡くなられた方とは全然違う話なので、重ねあわせられないし、わかりますとは絶対に言えないんだけど。だけど人の思いとして想像することはできます。自分は親父が好きだったし、どんな人だったのかは伝えたいと思う。アルバムの写真とか、そういう思い出もいいんだけど、父が残したものってそれだけじゃないと思うんです。
ーーはい。

父のお葬式には何百人という人が来てくれました。そこには自分や家族からは見えてなかった人間関係もあって、それもまた父の財産だったと思うんです。そんな人たちに会って、話を聞いたり写真を撮ることができないか。亡くなってしまった人が築き上げた、そういう人間関係を見せることができないかなと思ってます。
ーーそこに写真の力があると。
あると思いますね。
ちょうど取材をした日、マーちゃんが「突然思い立って」南三陸町から大阪までやって来ていた。

マーちゃん:こうして展示された写真を見ると、そこに写ってるのは被災者の人たちだときっとみんな思うんでしょうけど、僕からすると普通の人。瓦礫の中にいる人が普通なわけもないんだけど、でも思わず、普通の人って言っちゃうんですね。
小原:昨日言ってたもんね、別に俺もう、被災者だと思ってないしって。
マーちゃん:そろそろいいかなって。おかしな表現かもしれないけど、最近どうって言われたら、たいして変わりないよ、普通だって言う。みんなそんな風ですよ、なんにも変わらない。
ーー被災地を撮ることに、小原さんは強い迷いもあったようですが。
マーちゃん:撮ってる本人が一番気にしてますね。僕らからすると、一真がカメラをやってるのは知ってるし、他にもいろんなカメラマンが来るけど全然気にならない。別に何もない。話をすることも、当時の状況をもう一回、話させるのはかわいそうとか思うんでしょうけど、話してるほうがちょっと楽というか。ましてや、外から来た人だと、気にしてもらってるんだという感じもあって、黙ってるよりは全然いいと思いますね。
ーー壊れた自宅でギターをひいてる写真は、今回の展覧会DMにも使われていて、とても印象的でした。
マーちゃん:こんなときに何してんだろうと思われるかもしれないけど、そんなことくらいしかやることがないんですよ。
大阪での展覧会は2011年7月3日(日)まで。HPにも数々の写真がアップされています。
http://kazumaobara.com/
photo gallery Sai
大阪市福島区鷺洲2-7-19
会期中のみオープン 12:00 – 20:00
定休日:木曜日(会期中以外のご来場については事前にお問い合わせください)























