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編集者は“地元のカメラマン”になれるかもしれない

編集者は“地元のカメラマン”になれるかもしれない

雑誌でも、テレビでも、ネットでも。
いつの時代も「映えるもの」は注目されます。

きれいな景色、おしゃれなカフェ、パッと目を引くキャッチコピー。
でも、ローカルで暮らしていると、そんな「映え」よりも、むしろ日々の“当たり前”にこそ心を動かされる瞬間があります。

たとえば──
朝7時に鳴る防災無線の音。
駅前のベンチでいつも将棋を打ってるおじいさん。
近所のパン屋さんが焼く、形のいびつなあんぱん。

そのどれもが「どこにも載っていない情報」です。
けれど、確かに“その町らしさ”を語っている。

「ローカルメディア」というカメラ

編集者という仕事は、ある意味で「レンズ」のようなものかもしれません。
何を切り取り、どこにピントを合わせ、どう見せるか。
そこには編集者のまなざしと感性がはっきり表れます。

東京発のメディアでは拾いきれない“ゆるやかで、ちょっといびつな日常”を、そのまま届ける。
誰かの暮らしを「いいね」の数では測らずに、そっと隣に座るように紹介する。

ローカルメディアには、そんな静かな力があります。

小さな声に、耳をすませる

「誰かが話してくれるまで、気づかなかった」
そんなことが、地方には本当にたくさんある。

取材をしていると、最初は“なんにもない町”に見えた場所でも、だんだんと地層のようにストーリーが重なっていきます。
「昔は村全体で盆踊りしてた」とか、「あの川には昔、鰻がいた」とか。

地元の人にとっては“昔話”かもしれないけど、編集者にとっては“今の姿を語るヒント”です。

「小さな声に耳をすます」
それがローカル編集の出発点なのかもしれません。

誰のために、何を残すか

人は忘れていきます。
風景も、行事も、店の看板も──
誰かが記録しなければ、やがて“なかったこと”になってしまう。

でも、それを「覚えておく」ことはできます。
文章で、写真で、映像で。

地元の人が忘れてしまいそうなことを、
地元にいない人が「いいな」と思えるように届ける。

それは、編集者ができる“未来への贈りもの”です。

おわりに:編集は、記憶のアーカイブ

今の日本で、「ローカルメディア」が生きる余地は少ないかもしれません。
広告も、バズも、大きな影響力もない。
でもそれでも──

目の前の町に向き合い、
そこに暮らす人の声に耳を澄ませ、
丁寧に記録することは、きっと無意味ではありません。

編集者は、地元の「カメラマン」になれる。
そう信じて、今日も取材に出かけるのです。